思考の垂れ流しを、公開する
私はObsidianで文章を書いている。直感的にデイリーノートに書けるのが好きだ。しかし、いくらタグ付けしたところで、それは誰にも見られない。自分自身にも。なぜなら、昔の文章振り返って粗が見えるのが嫌だから。
ならば、代わりにここで書けばよいじゃないかという誘惑が常にあった。しかし、人様に見える場所で、公共の場所で自分の意見を文章なんかにしたら、すぐに批判され、ぼろくその雑巾にされて道端に打ち捨てられると考えていた。
しかし、noteではなく独自ドメインのGhostという安全基地を手に入れたことで、少しはやりやすくなったんじゃないかと思う。少なくとも、閲覧数は今のところゼロに等しいので。
Ghostは文章を書くのに適している。WordPressとはえらい違いだ。本当に、Obsidianのデイリーノートとほぼ同じ感覚でこうして文章を紡げる。私の本来の書き方は、こうして思いつくままにキーを叩いて文字を紡いでいくやり方なのだ。
今まではさあ書くぞ!と意気込み、見出しを付け、内容を考えと最高で素晴らしい100%の記事を書くために試行錯誤を繰り返していた。しかし、それは、とっても疲れる。
これを書いているとき、私は何も考えていない。前の文章も読み返さず、今その瞬間に集中している。思考が途切れたら段落が変わり、筆が乗ってきたらどんどん書き進めている。
書くというか、脳と指先、そしてディスプレイが連結され思考ユニットになっている感覚だ。外部出力機として、コンピュータが自分と一体化している感覚。リアルフォースはそれに使ってもらって本望だろう。
そしてClaudeによると、こういう文章の方が良いらしい。どうやら。私はそうは思わないが、みんなはそう思うらしい。みんなの意見をシミュレートしたAIが言っているんだからそうなんだろう。
とまあ、見出しもつけない、サムネイルもつけない、タイトルすら怪しい。こんな状態で、ただキーを打って思考を言語化する。文字にして残しておく。そのための環境として、ObsidianのデイリーノートからGhostに移ってきたわけだ。
Obとほぼ変わらないなら、誰かに見られる可能性のあるこちらの方が、手間がかからず公開できてWinWinじゃない、とは思えない。
公開するとなると、他者の視線がちらつくからだ。他者の目を意識するせいで、書ける物も書けなくなる。だから、公開しない。結局、書く頻度が落ちてしまうのだ。それが一番恐ろしい。書けなくなるのが怖い。
しかし、ここならコメント欄は塞いだし、誰かの目につくことも多分ないので自由気ままに書ける。ほとんど自分自身の日記帳だ。それを不特定多数に見られる可能性がある公共の場所に置いているだけ、だ。
創作疲れ、などと言う人はこういう風に一切の評価を無視してみたらどうだろう?などと思ったりする。人のために書くのではなく、自分のために書く。それが一番続く気がする。私が3年間毎日書き続けられたのも、それが理由だ。
とまあ、手が自然に動くレベルになったら、ここに書いてみようか、と思えるまでになる。思えば長かった。色々あった。しかし、結局ここに書けるようになったんだからよかったじゃないか、と思うようにするか。
自らの思考の外部化。これを公開する。これこそが、何なのだろうか。分からん。AIに聞こう。