私がフィクションと向き合う方法
アニメ・漫画・小説というフィクション世界に没入する場合、無意識的ですが私にはいくつかのクセがあります。
ネットで調べてもあまり同士が見つからなかったので、今回はそれについて書いていきます。
同時に見るのは一作品
アニメ・漫画・小説。各分野で一作品ではなく、すべてを通じて一つです。なので、小説とアニメで同じ作品を見るのは大丈夫ですし、むしろ歓迎です。
しかし、見る順番には決まりがあり、まずは小説や漫画で構造を頭に入れてから、アニメという映像媒体に行きます。この流れは、基本的には絶対です。逆転することはありません。
例外は、アニメ原作のオリジナルアニメや映画作品です(「ふしぎの海のナディア」や、「君の名は。」など)。後者は監督によるノベライズがありますが、それに限っては例外的に、鑑賞後に読みました。(先に読むのは何となく気乗りしなかったので。)
しかし、逆にノベライズから読む人もいるかもしれません。なので、私はとりあえず原作が第一、原作至上主義の人間、ということなのでしょう。
アニメの何を楽しむのか
私は最近のアニメの高品質な映像美には、一切興味がありません。「お金が潤沢にあったんだなー」と思う程度です。逆に紙芝居的な止め絵でも、「予算が悲しかったのだなー」と同情するだけです。
しかし例外的に、「ふしぎの海のナディア」の32・33話のような登場人物や動きの判別が不可能になるレベルの作画低下は、許容できません。要するに、作り手が何を意図しているのかが伝われば満足なのだと思います。(それが壊れているのには、耐えられない。)
なので私は、アニメを2次創作として楽しんでいます。あくまで主役は原作であり、それをどう監督や作り手の方々が再構成したのか。それが気になるのです。逆に、いくら作画が美しくとも、原作小説や漫画と一字一句同じシーンが続くアニメは、脱落します。
「原作に忠実」ではなくて、原作があるなら、程よくそれを壊してほしい訳ですね。
クソアニメと名作アニメ
しかし、だからと言ってオリジナルアニメがすべて素晴らしい、という訳ではないと思います。視聴数が少ないので具体例は挙げられませんが、すべての作品が「魔法少女まどか☆マギカ」レベルだと考えるのは不味いでしょう。
なので、私が好んでいるのは、映像できちんと意味を伝える(=文章の役割を映像が担うことを想定している)アニメなのだと思います。これは原作順序でも起こり得るもので、「蒼き鋼のアルペジオ」などは原作がありますが、展開がほぼアニオリで、楽しんで最後まで視聴できました。
一方で世間的な評価が非常に高い「葬送のフリーレン」は、Twitterなどを拝見すると、制作者の方のこだわりは非常に高い様なのですが、肝心の中身がほぼ原作と同じで、カットされているシーン、変わっている演技なども殆ど感じられませんでした。
そのため、30分をかけて見るのは難しいと感じ、原作の大ファンだったのにも関わらず第一クールで視聴を断念してしまいました。
まとめ
「このすば」「ヨルムンガンド」など、ふと何度も見返したくなる作品には、このような要素が含まれているのではないか、と思います。
とはいえ、世間的には動画から意味を自然に受け取れる人が多数派でしょうから、まずは活字か静止画からしか情報を受け取れないという人はレアでしょう。
しかし私は、自ら編み出した視聴方法こそが、フィクション作品を楽しむ上では最も適したやり方だと思っています。